歯科医療崩壊 歯科技工士が立ち去ったあとに

歯科医療崩壊 歯科技工士が立ち去ったあとに
NPO法人・みんなの歯科ネツトワーク 
歯科医師 
吉岡裕史
2010年2月26日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp
【75%が離職する歯科技工士】
人の口腔に入れる歯科技工物をつくる歯科技工士という国家資格がある。今、この歯科技工士が現場から次々と立ち去っている。卒業後5年間で75%が離職する(日本歯科技工士会調べ 2007)。
2〜4年もの養成学校を経て取得する国家資格で、これだけ高い離職率の職種はそう見当たらない。なぜ、歯科技工士は立ち去っていくのだろうか。

歯科医療では、歯が抜けたり、欠けたりしたところに人工材料を入れる。歯には自己再生能力が無いので、人工材料を用いて、口腔の機能を回復させるのだ。この人工材料を作るために、型を取り、歯に詰めたり被せたりする金属やセラミック、入れ歯などを作る。この歯科医療に用いる人工材料をを歯科技工物と言う。

歯科技工物はひとつひとつがオーダーメイドで、手作業で作られる。咬み合わせを考え、口腔内で機能し、審美的に、バランスよく、長期間保つように、いくつもの工程と、何度ものチェックを重ねて作られる。適正な歯科技工物を装着し、口腔機能を回復することで、寝たきりだった高齢者が自分で立てるようになり、歩きはじめるという事例も報告されている。歯科技工物は全身に大きな影響を及ぼす。

優れた歯科技工物を作るには、専門的な知識と高度な技術が要求される。日本では、歯科技工物を作れるのは、歯科医師と、歯科技工士だけだ。歯科技工士の資格は法で定められており、4年制大学、2年制の短期大学・専門学校などの専門過程を経て、国家試験に合格して取得する国家資格だ。

この歯科技工物のひとつ、金属製の歯を全部覆う全部鋳造冠は、熟練した歯科技工士が早朝から深夜まで働いたとしても、十分な質を維持して製作できるのは1日10個が限度とされる。咬み合わせや歯並びの状態などにより、製作はより難しくなり、この1日10個という数字はすぐに下がる。歯科技工物の向こうにいる患者さんのことを考え、より良い物を作りたいという歯科技工士の想いは強い。

【支払われる技工料】
歯科技工士は「健康保険の仕事ではとてもやっていけない」と言う。全部鋳造冠の場合、委託元の歯科医院から支払われるのは、1,500円から2,500円の技工料(工賃)(みんなの歯科ネットワーク調べ 2009)と金属代の実費だけだ。消耗品、機械の償却費、配達、事務費などの諸経費は700円から1,400円という。全部鋳造冠1個当たりの収入は、100円から1,100円程度にすぎない。したがって、1日あたりの収入は1,000円(100円×10個)から11,000円(1,100円×10個)でしかない。どれだけ丹念に作ったとしても、支払われる金額は変わらない。

現場にいる歯科技工士に聞けば、売り上げ1日1万円の壁があると言う。全部鋳造冠や、白いセラミック、入れ歯など充分なクオリティで作れるベテラン歯科技工士でも、まともにやっていれば、売り上げは1日1万円の壁を超えられないという。収入ではなく、売り上げが1万円だ。卒業間もない未熟者ならば、売り上げは半分の5,000円か、これ以下しか上げられない。この売り上げだと経費を除けば、手元に残らないどころか、持ち出しとなってしまう。委託する歯科医師も払おうにも払う余裕がない。歯科では20年以上、診療報酬がごくわずかしか値上げされていない。このため、技工料の値上げも行えない。20年間の物価上昇を考えると、歯科技工士の実質的な収入は半分以下になっている。

【技工士が失うもの】
この1日1万円の壁を越えるには何かを吹っ切る、いや、捨てなければならないと、歯科技工士は言う。時間・健康・家族・仕事の質・信用・友人・笑顔・やりがい、そして自分、職人の心……
失うもの、手放すものが増えれば増えるほど売り上げも伸ばせると言う。手を抜けば抜くほど儲かるが、心は折れる。
こんな希望が持てない現場ならば、若い人が逃げ出すのは当然だろう。離職率が75%もあるというのも納得できる。こんな話を聞けば、この就職氷河期の今でさえ、人は入ってこようとしない。どれだけやりがいがあっても生活が成り立たない。介護の現場から、介護職員が逃げ出しているのと同じ構図だ。高校の進路指導でも、食えない職への進もうとする生徒には再考をうながす。
こうして、歯科技工士養成学校への志望者が激減している。志望者がいなくなった養成学校が定員割れをして、次々と閉鎖されている。若い人が入ってこなくなったことにより、現役の歯科技工士の平均年齢の高齢化が進んでいる。
数年後には、就労する歯科技工士の激減が予想される。

【技工士が立ち去ったあとに】
歯科技工士がいなくなって、歯科医療の現場は困らないのだろうか? 歯科医師は技工物が手に入らなくなって困らないのだろうか?
歯科医師は、歯科技工士がまったくいなくなったら困るだろうが、現在、歯科技工の委託先に困っている歯科医師はいない。今、う蝕(むし歯)がどんどん減少している。削って、詰める、被せるという、従来のの歯科医療そのものが減っている。さらに経済不況が歯科の受診抑制を起こしている。こうして、歯科技工物の需要は減っている。歯科技工士は、仕事にありつくために、ただでさえ安い技工料を切り下げざるを得なくなっている。現状では歯科技工士も過剰と言えるのかもしれない。

こうした惨状は今始まったことではない。昭和62年に厚生省が当時の歯科技工物の実勢価格に基づいて算出された適正金額の目安として、診療報酬の7割という数字を示したことがある。
この告示には2つの問題がある。ひとつは、この価格がコスト計算をして算出した根拠ある数字ではなく、実勢価格を適正価格としただ。
もう1つは、告示で技工料を拘束するのは独占禁止法に抵触する可能性がある。診療報酬は公定価格、技工料金は自由市場価格という制度の矛盾が、
歯科技工士の置かれた立場を苦しめている。

【効率化とは何を捨てることか?】
ここまで過酷な現場に、まだ踏みとどまっている歯科技工士だが、それでも、世間からも、歯科医師からも「ムダが多い」「もっと安い歯科技工物を」「ユニクロ的な逆転の発想を」と求められている。

歯科技工物の製作はファーストフードのようにシステム化をするには限界がある。歯科技工物にはミクロン(1/100mm)単位の精度が求められる。量産品のように、同じものを何個も作って精度を出すわけではない。歯科技工物は、老若男女、咬み合わせ、残った歯の状態、個人個人に合わせて正確に機能し、審美性を兼ね備えた最適な形態で、さらに精度を出すものだ。
数ミクロンの誤差が、患者さんの口の中や全身に予想もつかない悪影響を及ぼすこともある。しかし、いくら職人気質と言っても、霞を食べて生きてはいけないのだ。守らなければいけない家族もいる。1個あたりに支払われる金額が定められている以上、どこかで折り合いをつけなければならない。職人の、匠のプライド「質」にも手を付けざるを得なくなる。

こうして食品偽装と同じ事が起こる。見た目は良いが非なるものが出来てくるのだ。パチリと入ったものが入らなくなる。過不足なくなく入っていたものに隙間ができる。長期間もったものがもたなくなる。歯科技工士の疲弊は、歯科技工物のこんなところに現れてくる。歯科技工士のこのような状況が続いて不幸になるのは誰なのだろうか。志(こころざし)半ばで立ち去る技工士なのか。歯科技工物が手に入らなくなってしまう歯科医師なのか。
一番困るのは、良質な歯科医療を受けられなくなってしまう患者さんなのではないだろうか。歯科技工士の問題は、歯科医療関係者だけではなく、物を食べ、声を発し、息をする口腔をもつ、日本に在住するすべての人の問題なのである。

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皆様からのご寄附をお待ちしております!!出産の際に不幸にしてお亡くなりになった方のご家族を支援する募金活動を行っています。お二人目のご遺族に募金をお渡しすることができました。引き続き活動してまいります。
周産期医療の崩壊をくい止める会より http://perinate.umin.jp/

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はがき随筆:2009年年間賞に延岡市・柳田さん /宮崎

はがき随筆:2009年年間賞に延岡市・柳田さん /宮崎

 ◇文章の鮮明さ、思想的深みも
 1月から12月までの月間賞が決定しましたので、年間賞を発表いたします。

 月間賞の作品をずらりと並べてみますと、そのレベルの高さに感服いたさずにはおれません。どの作品を選んでも年間賞という名にふさわしいのですが、とにかく1編だけ選ばなければなりません。優劣つけがたい作品に差をつける辛さを押して何度も繰り返し読み、まず6作品を1次審査で選びました。月順に紹介しますと、2月の板谷麻生さん「がんより怖い」、4月逢坂鶴子さん「思い出せない」、6月永井ミツ子さん「母からの手紙」、7月前田宏さん「共存共栄」、8月蕪卓弥さん「祖父との思い出」、11月柳田慧子さん「山にきたれば」です。

 この中から永井さんと逢坂さんが3次審査に進めませんでした。

 永井さんの作品は胸の痛む母からの便りで、最後の1行は初めて読んだ時からずっと私の記憶に残っているすばらしいものでしたが、惜しむらく、母への思いと対照的に、作者が病気と向き会う場面の表現が描かれていないのです。文字数の制限がなければと残念です。

 逢坂さんの作品はみずみずしい感性豊かな自然表現が魅力ですが、「思い出そうと意地になって外に出た」理由や「空を見上げるとコード番号がすらすらと出てきた」理由が読者に分かりにくいのが難点です。

 最終審査に残った4作品は瑕瑾(かきん)がほとんどないので、感銘度の高さを中心に250字で表現する技巧なども含めて審査しました。

 その結果、年間賞は柳田さんの「山にきたれば」に輝きました。文章の鮮明さ、思想的深み、短歌を引用した手並みの新鮮さ、落ちのユーモアの鮮やかさなどが一つにまとまって年間賞にふさわしい作品になっています。

 柳田さんと最後まで大賞を競ったのは板谷さんの「がんより怖い」でした。素直で、とぼけた、憎めない、患者のAさんのぼやきの描写が実にいきいきとしていて、なんとも味があり、方言の巧みな使い方とあいまって抱腹絶倒した読者も多かったことでしょう。Aさんという素材に恵まれた感じが少しあってその差で次席ということになりました。

 蕪さんの「祖父との思い出」も感動的な作品でした。構成も実に巧みです。ただ、最後の「今度は遠くを見てぽつりと言った。数年前の8月のこと」がどこかかすかに違和感が残りました。「遠くを見てぽつり」や8月の終戦に後悔を重ねた描き方が技巧にすぎるのですね。「数年前」とかみ合っていないのです。

 前田さんの「共存共栄」は、その豪快な文章は特筆ものだけに野菜の味に触れていないのが残念でした。<興梠英樹(文芸誌「遍歴」同人)>

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 ■年間賞作品

 ◇山にきたれば−−延岡市野田町、柳田慧子(64)
 明日の予報は晴れ。いそいそと登山の準備をする私に息子が言った。「山以外に行きたい所はないと?」。いやぁ、行きたい所はあるのだが、今はなぜか山が呼んでいる。はるかな頂きに思いを定め、色づく樹林に踏み入るともう、世間よさらばだ。深まる秋の懐で、木漏れ日をくぐり、無になり、素になってザック、ザックと歩く。これがいい。夫と小さな食事を分けあい、光る風に吹かれて心に静かな時間を取り戻す。これもいいのだ。−−家にいてもの思うことの愚かさよ山に来たればよき日なりけり−−越智渓水

 息子や、行ってきます。