医師過労自殺、「最高裁での和解」の背景 裁判所主導の異例の結末

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医師過労自殺、「最高裁での和解」の背景
裁判所主導の異例の結末
日経メディカル2010 年8 月号「ニュース追跡」(転載)
日経メディカルオンライン 2010. 8. 9
http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/report/201008/516255.html

山崎 大作=日経メディカルオンライン

当直勤務は過重だったか否か─。1 人の医師の自殺を巡り、勤務医の労働環境について議論されてきた裁判が、
最高裁での和解という形で幕を下ろした。なぜ和解での決着となったのか。
7 月8 日、うつ病だった勤務医の自殺が、過重労働によるものかどうか争われてきた民事裁判が、和解という形
で幕を閉じた。最高裁で和解に至るケースは極めて珍しい。
1999 年8 月16 日、宗教法人立正佼成会が運営する佼成病院(東京都中野区)に勤めていた小児科部長代行の中
原利郎氏(当時44 歳)が、病院の屋上から投身自殺した。中原氏は、小児科常勤医が6 人から3 人に減り、月8
回の当直と月80 時間の時間外勤務を行いながら、部長としての職務も果たし、うつ病を発症した。そのため遺族は、
「自殺を予見できなかったのは、病院の安全配慮義務違反に当たる」とし、損害賠償を求めて民事訴訟を提起して
いた。
同じ事件で労災認定が争われた行政裁判では、2007 年3 月に東京地裁で遺族側が勝訴。国が控訴しなかったため、
判決が確定している。だが民事訴訟では、07 年3 月の東京地裁、08 年10 月の東京高裁ともに病院の責任は認めず、
遺族が最高裁に上告受理を申し立てていた。
自殺した中原氏の妻、のり子氏は上告受理申し立ての理由について、「高裁では過重労働の実態は認定されたもの
の、病院が夫の自殺を予見できた可能性はないとし、過失は否定された。病院に責任を認めてもらいたかったし、
こうした判例が残っては、家族が過労死して労災で争っているほかの遺族にも迷惑がかかると思った」と話す。
裁判所主導だった和解
今回の和解内容は、病院が中原氏に哀悼の意を示すとともに、700 万円を支払うというもの。事件について公表
する際には、これまで裁判で認められた事実を前提とし、相互の誹謗中傷はしないこととされた。
和解文には、病院からの謝罪はなく、過重労働に関する病院の責任にも触れられていない。原告側が上告受理申
し立てで求めてきた内容とは異なる。一方、病院側にとっても、地裁、高裁で責任が否定されており、和解に応じ
なくても最高裁で負ける可能性は低いと思われていた。
では、なぜ和解に至ったのか。実は今回の和解は裁判所からの強い勧めによるものだった。「最高裁は、より良い
医療を実現させる観点から見て判決ではなく、和解が望ましいと考えたようだ」と、原告側弁護団を務めた川人博
氏は見解を示す。
もちろん、裁判所が和解を勧めても、原告、被告双方にその意思がなければ成立しない。その点、原告側は和解
文に、「医師不足や医師の過重負担を生じさせないことが国民の健康を守るために不可欠」という文章が入った点を
評価。のり子氏は、「病院に謝罪を求めることは、私から放棄し、和解額にもこだわらなかった。過度な対立は望ま
ないという夫の生き方に沿う結論を尊重した」と語る。
一方の病院側も、争いの場ではなく、和解の席で対面して話をする意義は大きいと考えた。立正佼成会代理人
を務めた弁護士の安田修氏は、「事実を理解してほしかった。和解ならば、相手にこちらの思いを伝えられるし、病
院として裁判を引きずることなく診療の最前線に戻れる。双方のためによいと思った」と話す。
今回の裁判が、勤務医の労働環境、特に当直のあり方について一石を投じたのは間違いない。判決まで至れば、
当直の業務過重性とそれに対する病院の責任に1 つの“物差し”ができるのは明らかだった。
最高裁があえて和解というまれな方法を選んだのは、その“物差し”が医療界に与えるインパクトを憂慮したと
も考えられる。当直のあり方について、最終的に司法の見解が示されないままに裁判は終わることになった。

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