『さらば厚労省』を書いた村重直子氏に聞く
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『さらば厚労省』を書いた村重直子氏に聞く
むらしげ・なおこ●1998年東京大学医学部卒業。横須賀アメリカ海軍病院、
ニューヨークのベス・イスラエル・メディカル・センター、国立がんセンター中
央病院などで内科医。
2005年に医系技官として厚生労働省へ。改革推進室、大臣政策室などを経て、
内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)付。10年3月同省退職。さらば厚労省講談社
1575円/270ページ
日本の病院で医師として経験を積み、厚生労働省に入省した元医系技官。国民
の健康よりも自分たちの都合を優先させる、その実態に「さじを投げた」。官僚
支配の「病める医療行政」に警鐘を打ち鳴らす。
「医系技官の存在が国民を不幸にしている」
−医師の資格を持つ医系技官の不要論を唱えています。
医系技官は250人ぐらい。この存在自体が必要ない。厚生労働省は、法令事務
官(事務系公務員)とノンキャリアの人たちで回していける。医系技官が存在する
がゆえに仕事が作られ、医療に無用な口出しをし、そして崩壊を促す。実態を知
れば知るほど、存在意義のなさがわかった。
−医療行政には専門技能に長けた人が必要ではありませんか。
この集団は“ペーパードクター”であり、専門家ではない。また、終身雇用が
前提になった利益集団においては、専門家にはなりえない。それが専門家である
ような意見を述べて政策決定に関与する。そもそも、公務員試験を受けていな
い、法律の素養がない、その2点だけでも存在意義を問われる。
医系技官自身、その限界を知っているから、辞めていく人が少なくない。自分
たちが苦しみ、国民も苦しめている。共に不幸になるなら制度をやめたほうが
ハッピーになる。
これは医系技官がいなくてもできる。もし医療の専門家の意見が聞きたいのな
ら、専門家は医療の現場にいるのだから、政治任用で連れてくればいいし、いろ
いろな会合を活用して意見を聞けばいい。
厚労省は医療の分野でも全国一律ルールを作るやり方をする。これは、患者の
状況は一人ひとり違うという医療の現場とは、そもそも合わない。しかも「罰則
付きの通知行政」で事細かに医療の中身に口を出す。そこでは現場や患者の願い
と大きな違いが出てきてしまう。
−内部からの改革はできないのですか。
それは構造的にありえない。自分の担当する権限の範囲内で多少のことはでき
るかもしれないが、この国の医療のあり方を変えるような、厚労省を変えるよう
なことはできない。相手は、人事権を握った大いなる運命共同体の利益集団だ。
それに属しているかぎり、いつも権限拡大の方向に走ることになる。
−たとえば?
昨年の新型インフルエンザに対する行政がわかりやすい。前近代的な「水際作
戦」はなぜ始まったか。現場を混乱させるばかりだった。「検疫した346万人の
うち見つかった患者はわずか10人」との報告もある。かえって感染する危険を増
やし、重症者に対しては死に追いやりかねない方針も打ち出した。医系技官が国
民の健康よりも自分たちの都合を優先させた結果だ。
−ワクチンの量の確保、供給のスピードでも問題を残しましたね。
現場の混乱に加えて安全性も損ねることを承知で、方針を役人だけで密室で決
めている。
その後もワクチン供給について護送船団方式は崩していない。国内メーカーに
補助金を出し、緊急時にも国内で生産ができるという名目を打ち立てているか
ら、輸入しない前提に向かって走っていることになる。リスクを分散させるとい
う危機管理の観点から見て、それでいいのかどうか。
−医師を所属機関が内部通報して「犯罪者」にしかねない通知行政、さらに「医
療事故調査委員会」の創設の動きもあります。
福島県立病院の産婦人科医逮捕の一件は一つのきっかけだった。医系技官は医
療現場の不確実性、遺族、医師の心情あるいは責任感をわかろうとしない。「医
療事故調査委員会」創設の問題も計画自体まだ消えたわけではいない。チャンス
を狙うかのように近接のテーマでシンポジウムを行っている。今も書類送検は続
く。ほかにも、厚労省が介入することによって現場が壊されていく問題はたくさ
んある。
−その現実を少しでも改善することはできませんか。
舛添(要一)さんの大臣就任で動きがあったように、政治任用、あるいは政治家
のリーダーシップが伴えば動かせる。政治家の立場が加わると効力は全然違う。
仲間同士で人事権を握る役人では無理だ。ただし、政治任用といっても継続性が
問題になる。
「ドクターフィー導入で勤務医不足対応も一法」
−この本で主張されているドクターフィーの導入では?
こういう変え方があるという一例だ。おカネの流れを変えるだけで人間の動き
方が変わる。現在、医系技官が診療報酬を決めている。つまり医療の価格統制を
行っている。しかもそれはすべて込みのホスピタルフィーだけだ。現場の医療ス
タッフは、役人のニーズ判断で決めた価格に従わざるをえない。このホスピタル
フィーからドクターフィーを区別したらどうか。それによって医者がもっと自由
に医療の現場を循環できるようになる。病院勤務の医者が開業した瞬間に、ほか
の病院に勤務してはいけないというのが今のおカネの流し方。複数の医療機関で
診療しても、同じように診療をした分だけの収入が入れば、勤務医不足の軽減に
も役立つ。自分のできる範囲内で多様に医療を提供し続けられる。そういう選択
肢を今、奪ってしまっている。
−子育て中の女医さんにもいいということですね。
それこそ、医者が足りないといわれ、辞めた医者を復帰させようという話があ
るほどだ。時間と働く場を自由に選択できるようなおカネの流し方をすれば、ほ
かの仕事をしながら診療に従事したいという人はいっぱいいるはずだ。
ドクターフィーというと、医者がまた儲けようとしているみたいなバッシング
を受けたりする。そうではなくて、おカネの流れ方をちょっと変えるだけで診療
のスタイルが変わり、医者の人生のスタイルが変わる。このことで、医療を受け
られるチャンスが増えるととらえてほしい。
−新たな感染症や耐性菌に加えて、再び新型インフルエンザの流行も心配です。
流行があるかどうかは、予測のつかない自然の現象だからわからないが、厚労
省の対応における人為的な部分は繰り返されるおそれはある。むしろ昨年の対応
を正当化するような制度にしょうとしている。
結局、昨年の反省はなかった。一応、総括会議をして報告書は出したが。それ
も、これからこんなことをしなければいけない、あんなことをするという、要す
るに官僚がやりたいことを並べたもの。これでは、昨年の二の舞になりかねな
い。
(聞き手・本誌一塚田紀史)週刊東洋経済2010.9.18